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千代大龍(九重部屋)の相撲経歴紹介!糖尿病との壮絶な戦いに負けず関取として精進する

千代大龍は九重部屋所属力士で、東京都立高校出身力士として初の関取となった。相撲エリートが多い中にあって都立高校に通って、成績を伸ばしていった千代大龍。

関取となってからは、糖尿病との壮絶な戦いの中で相撲を取っている。

また、千代大龍はメンタルが強いというか物怖じしない性格で、相手が誰であっても気にせずガンガン攻めることが出来るのが良い点。

それでは千代大龍のプロフィールと相撲経歴を紹介していきます。

千代大龍のプロフィールと相撲歴紹介!

四股名千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ)
本名明月院 秀政
生年月日1988年11月14日
年齢30歳
身長/体重181センチ/191キロ
出身地東京都荒川区
所属部屋九重部屋
血液型A型
趣味トレーニング
最終学歴日本体育大学 卒
幕内優勝0回
十両優勝1回
幕下優勝0回
三段目優勝0回
序二段優勝0回
序ノ口優勝0回
殊勲賞0回
敢闘賞0回
技能賞1回
金星3回
初土俵2011年5月場所
初入幕2012年5月場所
得意技突き、押し

 <千代大龍の相撲経歴>
千代大龍が相撲キャリアをスタートさせたのが、小学生のころ。初めて相撲教室に通い始めたのは、小学6年生の時で、わんぱく相撲大会の1回戦で負けてしまったところを相撲教室に誘われたのがきっかけ。

中学、高校と相撲を続けていた千代大龍であったが大きな大会でも個人タイトルは獲得するに至っていない。

ただし、中学の時は体が小さかった千代大龍も高校に上がって体が大きくなったことで、徐々に試合で勝てるようになっていた。

高校卒業後には、日本体育大学の相撲部に入部。高校まで強いとは言えなかった千代大龍は、大学の稽古で力を大きく付けていき個人タイトルを獲得するまでに成長。

4年生の時には、国民体育大会の成年の部において個人戦優勝を果たした。更には、学生横綱のタイトルも獲得している。

ちなみに、全国学生相撲選手権大会において決勝戦を戦った相手は、2019年1月場所で十両に番付されている常幸龍であった。

4年生のとして最後の大きな大会となった全日本相撲選手権大会では3位入賞を果たしている。学生横綱との2冠達成となれば幕下10枚目格付出の権利もあったが、惜しくも獲得出来ずに幕下15枚目格付出となった。

入門先には、大横綱・千代の富士が師匠を務めていた九重部屋へ進んだ。デビュー場所となるはずだった2011年3月場所はまさかの八百長問題によって場所が中止となる。

デビューとなったのが、2011年5月技量審査場所。17名もの力士が八百長問題によって引退となったことによって、幕下15枚目からデビューした千代大龍は優勝すれば一場所で十両昇進の可能性があった。

しかし、一番相撲、二番相撲と連敗を喫した上に、 右下腿蜂窩織炎によって途中休場となり3敗4休と1勝も出来ずに終わってしまったのだ。

続く7月場所、9月場所をともに6勝1敗の好成績で終えると、11月場所には東幕下3枚目まで番付を上げた。当場所では4勝3敗と辛うじて勝ち越しを決めるにとどまったが、番付の妙によって十両昇進を果たした。

初土俵から5場所目で関取となった千代大龍は、2012年1月場所において初十両で13勝2敗の成績によって初優勝をはたしている。

翌3月場所では、東十両筆頭まで番付を上げたが11勝4敗と好成績によって二場所で十両をクリアして、新入幕を決めるのであった。

しかしここからが千代大龍によって、怪我や病気との戦いとなる。

新入幕となった2012年5月場所では、右足関節剥離骨折及び右大腿四頭筋肉離れによって途中休場。

更には、前頭2枚目まで番付を上げた2013年3月場所では右第二中足骨骨折による途中休場。

初の三役となり小結として活躍が期待された2014年9月場所でも、右膝内側側副靱帯損傷で途中休場となった。

この後も、 両足血行障害、左足足底筋膜損傷による途中休場などがあり、デビューから6場所の途中休場を経験している。

そのことから、幕内と十両を行き来する生活となり、期待されながらも小結止まりとなっている。

また持病の糖尿病との戦いもあって、満足いく結果を残せていない。この辺りについては、不摂生が原因となっているので仕方ないとも言えよう。

30歳となった千代大龍にとって2019年は勝負の年となる予感。本来持っている力を出せれば、小結以上の番付位置も見えてくるはずだ。

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