豪栄道(境川部屋)は花のロクイチ組と言われ、各界には多くの同級生が活躍し切磋琢磨しています。横綱・稀勢の里や栃煌山、妙義龍や勢といった同世代の力士が切磋琢磨することで番付上位に多くのロクイチ組がいます。
そんな中でもトップを走り続けている豪栄道、高校横綱として各界入りしたあとは順風満帆とは言えませんでした。
それでは豪栄道のプロフィールと相撲経歴を紹介していきます。
豪栄道のプロフィールと相撲歴紹介!
四股名 | 豪栄道 豪太郎(ごうえいどう ごうたろう) |
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本名 | 澤井 豪太郎 |
生年月日 | 1986年4月6日 |
年齢 | 32歳 |
身長/体重 | 184センチ/157キロ |
出身地 | 大阪府寝屋川市 |
所属部屋 | 境川部屋 |
血液型 | B型 |
趣味 | 読書 |
最終学歴 | 埼玉栄高校 卒 |
幕内優勝 | 1回 |
十両優勝 | 0回 |
幕下優勝 | 2回 |
三段目優勝 | 1回 |
序二段優勝 | 0回 |
序ノ口優勝 | 1回 |
殊勲賞 | 5回 |
敢闘賞 | 3回 |
技能賞 | 3回 |
金星 | 1回 |
初土俵 | 2005年1月場所 |
初入幕 | 2007年9月場所 |
得意技 | 右四つ、寄り |
<豪栄道の相撲歴>
豪栄道が相撲キャリアをスタートさせたのが、小学1年生のころ。きっかけとなったのは豪栄道の態度。当時、豪栄道はやんちゃで同級生の中で威張っていた感じがあったのを両親が見兼ねて相撲をやらせた。
相撲で大きな人に負かしてもらおうという企みだったが、豪栄道は相撲大会で優勝してしまった。そこから豪栄道は相撲にのめり込んでいくのである。
小学3年生からは大阪府交野市にある相撲道場に通い始めるが、ここで同級生の「勢」と出会うのである。
豪栄道は小学5年生の時にはわんぱく横綱となり、日本一となるほど実力を付けていった。
ただ、中学生ではあまり勝てなくなってしまう。理由としては、体重を増やすことが出来ずに80キロ程度だったことで勝てない日々が続いた。
本来であれば、中学での不振によって有名校からの誘いが無くても仕方ないところ。しかし、埼玉栄高校から誘いが来た。豪栄道は結果を残していないこともあり、埼玉栄高校に進学することを迷っていたが熱心な誘いによって埼玉栄に進むことを決断。
中学3年生の10月に進学を決めたが、埼玉栄に入学する6ヶ月間で体重を30キロアップさせていた。体が資本となる相撲だけに体重の重要性を理解してしっかりと基礎体力を上げて入学に備えたのである。
もともと実力を持っていた豪栄道に、体力が備われば強いに決まっている。
高校生活では、実に11個もの個人タイトルを獲得するのである。高校横綱、世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝といった輝かしい成績を残した。
そんな中でも、高校生として出場した全日本相撲選手権大会では高校生として史上初のアマチュア横綱となり、幕下格付出の権利を得るか期待が高まっていた。
豪栄道は優勝こそならなかったが、高校生として史上最高の成績となる3位に輝いた。
高校生活では敵なしであった豪栄道だが、同級生として最大のライバルは「栃煌山」であった。栃煌山は高校では目立った活躍が出来なかったが、中学では豪栄道が伸び悩むなかで中学横綱になる活躍を見せた。
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豪栄道は相撲をするために生まれてきたと言っても過言ではない。出生時の体重が4380グラムと普通の赤ちゃんの1.5倍ほどもあったのだ。名前も「豪太郎」とまさに、立派な男というイメージを持てる。
高校生活で最高級の活躍を見せて豪栄道は、日本大学への進学がほぼ決まっていたが各回入りしたい気持ちが強かったために進学することなく大相撲の世界に飛び込んだ。
境川部屋への入門を決めた理由が、日本大学への進学を辞退したことによって豪栄道と互角以上の選手との稽古が出来なくなってしまった。国体を控えていたこともあり、豪栄道としては強い相手との稽古をつけたいところであった。
そんな折に、埼玉栄高校の相撲部の山田監督が自身の先輩にあたる境川親方に相談したところ、部屋で稽古をしても良いという話になった。
豪栄道は境川部屋にいって稽古をつけてもらうことになるのだが、幕下力士との稽古で豪栄道が圧倒してしまったこともあり即断で境川部屋入門を決めたのである。
初土俵となったのは2005年1月場所。翌3月場所では序ノ口で7戦全勝優勝、5月場所では序二段で6勝1敗、7月場所では三段目で7戦全勝優勝を飾り早くも幕下まで番付をあげた豪栄道。
同年11月場所では、西幕下32枚目で7戦全勝優勝を飾り一気に十両昇進に手が届く番付位置まで来た。
2006年1月場所では、西幕下2枚目となり勝ち越せば関取になれる可能性もあったが3勝4敗と初の負け越しを喫してしまう。
翌3月場所でも3勝4敗と負け越し、5月・7月場所でも4勝3敗と大きき勝ち越すことが出来ずに十両に手が届きそうな番付で4場所を過ごしてしまった。
迎えた9月場所で豪栄道は西幕下6枚目で7戦全勝優勝を遂げて、十両昇進を確実のものとした。
十両に上がっても勝ち越しを続けた豪栄道は、5場所目となった2007年7月場所で西十両5枚目で12勝3敗の好成績を納めて新入幕を確実とした。
新入幕となった9月場所では、11勝4敗の二桁勝利を納めて敢闘賞を受賞。
初の三役となったの新入幕から1年2ヶ月後の2008年11月場所。小結となった豪栄道は5勝10敗と負け越してしまうものの、翌2009年1月場所で10勝5敗で一場所で三役返り咲き。
小結で9勝6敗の成績を納めて、翌5月場所では関脇に23歳の若さで昇進している。
このまま順風満帆に行くかに思えたが、2010年3月場所で左膝脛骨平面内側骨髄骨折のため6日目から初となる途中休場。
2010年7月場所には、大相撲野球賭博問題によって一場所の謹慎処分となり十両まで番付を下げた。
実力のある豪栄道なので一場所で幕内に復帰しているが、再び関脇となるまでに1年半を要している。
豪栄道に実力があったことが分かるデータとして、負け越してしまえばすぐに落ちてしまう関脇という番付で11場所連続在位がある。この間、一度だけ7勝7敗1休で負け越しはしているが、ほかはすべて勝ち越しを決めていた。
それだけの実力を持っていた豪栄道、2014年9月場所についに大関昇進を決めた。
大関昇進後は二桁勝利もままならずにカド番もあり、ファンやマスコミから叩かれることもあったが、2016年9月場所でようやく幕内最高優勝を15戦全勝で決めたのである。
その後も、大関として厳しい成績が続いているため横綱昇進は難しいものとなってしまった。