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白鷹山亨将(高田川部屋/山形県)のプロフィールや相撲経歴が気になる!

山形県出身力士の白鷹山(はくようざん)は、十両から幕内力士、そしていずれ横綱へ登りたいと稽古に励んでいます。

目標とする力士も、同郷の横綱・柏戸関でいつかは並べるようになりたいと語っていますので、期待したいところです!

それでは、白鷹山のプロフィールや相撲歴について紹介をしていきます。

白鷹山のプロフィールと相撲歴紹介!

四股名白鷹山 亨将(はくようざん りょうすけ)
本名齋藤 亨将
生年月日1995年4月13日
年齢23歳
身長/体重186センチ/160キロ
出身地山形県西置賜郡白鷹町
所属部屋高田川部屋
幕内優勝0回
十両優勝0回
幕下優勝1回
三段目優勝0回
序二段優勝0回
序ノ口優勝0回
殊勲賞0回
敢闘賞0回
技能賞0回
金星0回
初土俵2011年5月技量審査場所
初入幕
得意技突き、押し

<白鷹山の相撲歴>
白鷹山は角界入りするまでは、相撲経験が全くない完全に叩き上げと言える力士である。小学生の時には柔道や野球に勤しんでいた白鷹山。

中学に入っても相撲をすることなく、バスケットボールや陸上競技の砲丸投げを経験。特に砲丸投げは父親譲りのセンスを発揮してジュニアオリンピック陸上競技大会への出場する実力者。

中学卒業と同時に高田川部屋へ入門し角界入りする。角界入りに際して、高田川親方は相撲以外の競技で活躍している選手を狙っていたと言われている。

バスケットボール経験者が相撲を取ると動きが合うのか、意外に多い。白鵬や鶴竜、竜電などもバスケットボール経験者。

白鷹山(はくようざん)の四股名は初土俵から名乗る四股名。由来は、地元・山形県にある白鷹山(しらたかやま)と、米沢藩第9代藩主だった上杉鷹山(ようざん)から名付けたとされている。

初土俵を踏むはずであった2011年3月場所は、まさかの八百長問題により中止となる。初土俵は、翌5月場所の技量審査場所。

序ノ口、序二段を3場所で通過し三段目に上がるものの、白鷹山を待ち受けていたものはまさかの大怪我。

2012年5月場所にて、白鷹山は大怪我を負う。右膝前十字靭帯を断裂によって11月場所まで休場を余儀なくされている。

復活した白鷹山は番付を序ノ口まで下げたところから再出発となったが、1年を掛けて幕下まで昇進。2013年11月九州場所からは幕下にて着実に実力をつけて番付を上げていった白鷹山。

2016年5月には、関取目前の幕下筆頭まで番付を上げるも、体調不良に加えて糖尿病の病気を患い体重を20kgほど落としてしまう。

ここからが遠い関取への道…2018年3月場所日に再度幕下筆頭にまで上がった白鷹山。2度目の正直となる6勝1敗で悲願の関取へ。

2018年5月場所に一場所で幕下に下がるものの、しっかりと実力をつけていた白鷹山は幕下全勝優勝を果たし再び十両に復帰。

2018年9月場所には、十両で二桁勝利を収めて自身の番付最高位の十両7枚目まで番付を上げている。

白鷹山の化粧廻しは家族全員で作ったもので、白鷹山の文字の左右から翼が生えているデザイン。

母親が『白鷹山通信』と題して親子しか知らない情報を掲載したものを毎場所製作して近所で配っていた。

白鷹山が所属する高田川部屋では、新成人を迎える力士に親方とおかみさんからオーダーメイドの財布が贈られるが、白鷹山は黒字に銀色で文字を入れた財布をプレゼントしてもらっている。

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