逸ノ城はモンゴル遊牧民出身の力士で湊部屋に所属している。鮮烈な幕内デビューを果たした逸ノ城であったが、優しい性格が災いしているのか未だ優勝が無い。
最も期待されながら結果を残せていない現状を打破して、大相撲に逸ノ城有り!と言われるほどの活躍を期待してやまない。
それでは逸ノ城のプロフィールと相撲経歴を紹介していきますので、チェックしてみてください。
逸ノ城のプロフィールと相撲歴紹介!
四股名 | 逸ノ城 駿(いちのじょう たかし) |
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本名 | アルタンホヤグ・イチンノロブ |
生年月日 | 1993年4月7日 |
年齢 | 25歳 |
身長/体重 | 193センチ/227キロ |
出身地 | モンゴル・アルハンガイ |
所属部屋 | 湊部屋 |
血液型 | A型 |
趣味 | バスケットボール |
最終学歴 | 鳥取城北高校 卒 |
幕内優勝 | 0回 |
十両優勝 | 1回 |
幕下優勝 | 0回 |
三段目優勝 | 0回 |
序二段優勝 | 0回 |
序ノ口優勝 | 0回 |
殊勲賞 | 1回 |
敢闘賞 | 1回 |
技能賞 | 0回 |
金星 | 5回 |
初土俵 | 2014年1月場所 |
初入幕 | 2014年9月場所 |
得意技 | 右四つ、寄り |
<逸ノ城の相撲歴>
逸ノ城が相撲キャリアをスタートさせたのが、2010年に日本の高校に就学してきた際のこと。鳥取城北高等学校に相撲留学してきた逸ノ城は、石浦監督のもとで日本の相撲を学んでいくのである。
ちなみに、元大関の照ノ富士とは同じ便で日本にやってきている、同じ寮で部屋も同じであったことから大変仲が良かった。
逸ノ城は日本へ留学してきたものの、遊牧民出身であったためにモンゴルでは標準教育を受けていなかった。そのためにモンゴル語をしゃべるのもままならないこともあったそうだ。
そんな中で日本へ来て、日本語を習得する必要があったことから大変苦労したそうだ。しかし、日本へ留学してきたからには日本語を喋れるようになる必要があったので、監督は逸ノ城に対して日本語を覚えるように叱咤激励されていたのだ。
逸ノ城は恵まれた体格を持ちながらも相撲は弱かった。その事から、監督は逸ノ城に対して相撲を取るよりも四股を踏ませることで基礎体力を上げていかせた。
しかし逸ノ城は四股を踏むのが嫌いだったことから、相撲が嫌になったこともあったかもしれない。
ただ、監督の狙いは当たって四股を踏んでいるうちに相撲で勝てるようになり、高校時代には5つの個人タイトルを獲得するまでに成長した。
しかしながら、石浦監督は各界入りするにはまだ早いと考え、湊部屋入りが確実視されていたが実業団への道を逸ノ城へ勧めた。実業団でナンバーワンになれば、幕下格付出の権利を得られるからであった。
逸ノ城は、鳥取県体育協会に就職して実業団として相撲大会に出場。2013年の全日本実業団相撲選手権大会で優勝を果たし実業団横綱となった。これによって、幕下15枚目格付出の権利を得たのである。
湊部屋へ入門し初土俵を踏んだのが2014年1月場所。二場所連続で幕下にて6勝1敗の成績で勝ち越し十両昇進を果たした。
十両昇進となった5月場所では、11勝4敗の成績で初優勝を遂げた。次場所でも13勝2敗の好成績(優勝はならず)で新入幕も決めた逸ノ城。
9月場所では新入幕となった場所であったが、13勝2敗と優勝争いをするほどの活躍を見せた。誰しもが、横綱候補と期待した場所であった。
しかしここから逸ノ城は鳴かず飛ばずの成績が続いてしまう。
一番の問題は本人の相撲への情熱の薄さと、体重増加による動きの鈍さだと推察する。まず相撲への情熱が極端に薄いと感じるのは勝ったときよりも負けたときの負け方。
あんなにあっさりと土俵を割れるものかと思うほど、さっと負けてしまう負け方を見ていると勝ちたい意欲が薄いのだと感じてしまう。
そして増えすぎてしまった体重にも問題がありそうだ。大きれば良いというものではないので、自分にあった体重
キープ出来なけば動きも悪くなるし動けなくなるのが当たり前。
そういった自己管理が出来ない逸ノ城は、スポーツマンとしては致命傷とも言える。
横綱候補として期待されていた逸ノ城も新入幕から4年以上たったが優勝どころか優勝争いにさえ絡んでいない体たらくぶり。
これでは横綱を期待したファンに申し訳ないと思い、改めて相撲に対する情熱を取り戻して欲しいものだ。