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琴奨菊(佐渡ヶ嶽部屋)は大関陥落で引退間近から復活!妻の支えが活力となる毎日!

琴奨菊は佐渡ヶ嶽部屋所属力士で、大関在位32場所と歴代10位タイの記録を持っている。そんな琴奨菊も大関から陥落し、力も落ちてしまい引退間近ではと思っていた方も少なくないだろう。

琴奨菊は平幕へ落ちてしまったが、まだまだ現役バリバリで相撲を取れるところも見せている。

これもひとえに、愛する妻がいるからだと言えるだろう。初優勝を果たしたころには、よくテレビにも出ていた妻であったが最近はめっきり裏方に回った印象。

琴奨菊をしっかりと支えて、まだまだ幕内力士として活躍してお給料を稼いでもらわないといけないだろう。

それでは、今回は琴奨菊のプロフィールと相撲経歴を紹介していきます。

琴奨菊のプロフィールと相撲歴紹介!

四股名琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ)
本名菊次 一弘
生年月日1984年1月30日
年齢34歳
身長/体重180センチ/175キロ
出身地福岡県柳川市
所属部屋佐渡ヶ嶽部屋
血液型O型
趣味テレビ、電話
最終学歴明徳義塾高校 卒
幕内優勝1回
十両優勝1回
幕下優勝0回
三段目優勝0回
序二段優勝0回
序ノ口優勝0回
殊勲賞3回
敢闘賞0回
技能賞4回
金星2回
初土俵2002年1月場所
初入幕2005年1月場所
得意技左四つ、寄り

 

<琴奨菊の相撲経歴>
琴奨菊が相撲キャリアをスタートさせたが、小学3年生のころ。祖父のお手製土俵で1日2時間の稽古をつけていた。その他にもタイヤ引きや、カルシウム摂取のために牛乳を飲んだり、煮干しを食べたりしていた。

中学は地元・福岡から離れて高知県の明徳義塾中学に進学。そこで、全国中学校相撲選手権大会で優勝を果たし中学横綱の称号を手にしている。

高校は明徳義塾高校に進学し活躍を見せて、高校卒業後には角界入りすることになる。

所属部屋は佐渡ヶ嶽部屋を選んだ琴奨菊だが、小学生のころから佐渡ヶ嶽親方に認められていたたまだと言われている。

初土俵は2002年1月場所のこと、3月場所では序ノ口で6勝1敗。5月場所では、序二段で7戦全勝、7月場所では三段目で5勝2敗、続く9月場所は6勝1敗として、約1年で番付を幕下まで上げた。

2003年1月場所には、東幕下20枚目まで番付を上げて十両昇進もそう遠く無いと感じさせてくれた琴奨菊。

しかし、そう簡単に幕下の壁を破ることは出来なかった。

2003年は、幕下10枚目まで番付を上げた場所もあったが終わってみれば殆ど番付の上昇がなく終わってしまった。成績も3場所の勝ち越しと3場所の負け越しと殆ど五分の成績に落ち着いた。

2004年1月場所では、東幕下22枚目として迎えたがこの場所で、6勝1敗とし大きく勝ち越しに成功。続く3月場所では4勝3敗で勝ち越して、西幕下5枚目まで番付を上げた。

迎えた2004年5月場所では、5勝2敗の成績を収めてついに十両昇進を手にいれた。晴れて関取となった琴奨菊。

十両に上がった琴奨菊、10勝5敗、9勝6敗の成績を収めて11月場所には西十両3枚目まで番付をあげた。この場所で10勝5敗と二桁勝利を収め、早くも幕内昇進を果たす。

しかし1月場所では5勝10敗を負け越し、翌場所は十両に陥落。3月場所では、東十両4枚目で13勝2敗の好成績で十両初優勝を勝ち取った。

2005年5月場所から幕内に昇進すると、2018年11月場所まで連続幕内在位を果たしている。

初めて三役に昇進したのが、2007年3月場所。全場所では東前頭筆頭で9勝6敗の成績だったが、小結を飛び越えて関脇へ昇進。

その後は、常に関脇、小結、前頭上位の番付に位置して実力を付けていった。

2011年に入ると琴奨菊の成績が一気に上昇する。1月場所では西関脇において11勝4敗の好成績、技能賞も獲得している。

翌3月場所は、大相撲八百長問題によって休止となるが、5月の技量審査場所において10勝5敗で二桁勝利。

これで大関取りへのチャンスを得た琴奨菊、7月場所で12勝以上なら大関昇進が現実味を帯びたが、11勝止まりであと一歩届かなかった。

しかしながら好成績を継続していたので、9月場所でも大関取りとなる。この場所で12勝以上を上げれば良かった琴奨菊は、見事に12勝3敗の成績を収めて大関昇進の条件となる3場所通算成績を33勝にした。

これによって、琴奨菊は2011年11月場所から大関として大相撲を引っ張っていくこととなる。

大関になった琴奨菊であったが、初優勝への遠い道のりと共に、カド番7回を経験することになった。

大関に昇進してから、初優勝するまでの25場所の中で二桁勝利は7回しかなかった。1年間に二桁勝利出来る場所が二場所無かった計算となる。それくらい、大関になってからは成績がパッとしなかった。

しかしついに琴奨菊にも初優勝を得るチャンスがきた。2016年1月場所で、横綱・白鵬と横綱・日馬富士、横綱・鶴竜に勝利して文句無しの14勝1敗で初優勝を果たした。

実に日本出身力士としては、10年ぶりとなる幕内最高優勝であった。この時は、日本中が大いに盛り上がり、琴奨菊の連日テレビ出演を果たし、一躍時の人となった…本当の意味で。

その後、琴奨菊は綱取りと見られて3月場所で8勝7敗とかろうじて勝ち越すに終わり。7月場所には怪我で途中休場となり負け越しもカド番を脱出。

11月場所には5勝10敗でカド番となり、初優勝から1年後の2017年1月場所で5勝10敗と負け越し関脇へ甘楽億する。

3月場所では、二桁勝利を納めれば大関返り咲きがあったが、9勝止まりで一歩届かなかった。これで大関から完全に陥落してしまった。

その後は、琴奨菊らしい成績が続いて前頭まで番付を落としている。大関時代にもカド番を7回経験していただけあって、大関から陥落すれば番付は自然を落ちてしまう流れなのはうなずける。

それでも、琴奨菊はもう一花咲かせるために三役返り咲きを目指していることだろう。

琴勇輝(佐渡ヶ嶽部屋/小豆島出身)のホウが無くなった訳は?手のテーピングは反則ギリギリ?琴勇輝は佐渡ヶ嶽部屋所属力士で、香川県丸亀市出身ながら小豆島で相撲人生を過ごしたことなどがら、小豆島出身の琴勇輝として相撲を取っている。...
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