妙義龍は境川部屋所属力士で豪栄道とは同学年で高校から同じ釜の飯を食う間柄。豪栄道と切磋琢磨してきた妙義龍は、大関取りを諦めていないはず。
そんな妙義龍には、高校時代で席が隣だった妻・香菜さんという大切な存在がいるので、まだまだ稼いでいかないといけない。
大怪我もあったが、ますますの飛躍が期待できる妙義龍のプロフィールと相撲経歴を紹介します。
妙義龍のプロフィールと相撲歴紹介!
四股名 | 妙義龍 泰成(みょうぎりゅう やすなり) |
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本名 | 宮本 泰成 |
生年月日 | 1986年10月22日 |
年齢 | 32歳 |
身長/体重 | 186センチ/153キロ |
出身地 | 兵庫県高砂市 |
所属部屋 | 境川部屋 |
血液型 | A型 |
趣味 | 釣り |
最終学歴 | 日本体育大学 卒 |
幕内優勝 | 0回 |
十両優勝 | 3回 |
幕下優勝 | 1回 |
三段目優勝 | 0回 |
序二段優勝 | 0回 |
序ノ口優勝 | 0回 |
殊勲賞 | 0回 |
敢闘賞 | 0回 |
技能賞 | 5回 |
金星 | 2回 |
初土俵 | 2009年5月場所 |
初入幕 | 2011年11月場所 |
得意技 | 押し |
<妙義龍の相撲経歴>
妙義龍が相撲キャリアをスタートさせたのが、小学2年生のころ。幼いころには、習い事を多くしていた妙義龍であったが、相撲に出会い人生が変わった。
地元の相撲大会に出場した妙義龍は、優勝を飾った。そこで、相手と1対1で勝つことの喜びを感じて相撲を習うために相撲教室へ通い始めた。
ただし、あくまでも相撲教室なので相撲道場のような稽古をつけるものでは無かった。相撲って楽しいよね!という趣旨が大きく妙義龍にとっては物足りなく感じたかもしれない。
そんな中で、1年後に優勝した大会に参加した妙義龍だったが、優勝出来ずに2位となった。このことで、より本格的な相撲に取り組み始め、大会などにも参加するようになった。
妙義龍は中学3年生のときに、全国中学校体育大会へ出場しているが相撲への関心が減っていた。相撲教室へも殆ど通わなくなり、しかも所属は陸上部でそちらへの取組みにも注力していたためだ。
しかも中学時代は、私生活も荒れ始めて不良への道も歩んでいたという。しかし、そんな妙義龍を見兼ねた両親から「相撲への取り組み方」をもっと真剣に変えていく提案を受ける。
相撲で、全国中学校体育大会に出場するほどの力を持っていた妙義龍。この時に、埼玉栄高校の監督からスカウトを受けていた縁もあって進学を決めている。
埼玉栄高校では、豪栄道と同学年で切磋琢磨した。
高校3年生の時には、全国高等学校総合体育大会において個人戦で準優勝するまでの成績を収めている。ちなみに優勝したのは豪栄道であった。
高校卒業後は、日本体育大学に進学した妙義龍。1年生のころから試合に出場していたが妙義龍も結果はなかなかついてこなかった。
それでも監督が妙義龍を試合に出場させ続けていたことで力を付けた。
4年生の時には、大分国体成年個人の部で優勝を達成。これによって、幕下15枚目格付出の権利を得ることになった。
幕下格付出の権利を得るためには条件があります。「全日本相撲選手権大会」、「全国学生相撲選手権大会」、「全日本実業団相撲選手権大会」、「国民体育大会相撲競技(成年男子A)」のいずれかで優勝すること。
この内の、一つでも優勝することが出来れば幕下15枚目格付出としてデビューできる。
もし、「全日本相撲選手権大会」+他の大会で優勝出来ればより好条件となる幕下10枚目格付出となる。
幕下格付出でデビューすることになった妙義龍は、角界入りする際には豪栄道と同じ境川部屋を選んでいる。
初土俵を踏んだのが2009年5月場所。成績次第では一場所で十両昇進も可能な番付であったが、3場所連続で5勝2敗の成績により年内の昇進は無くなった。
迎えた11月場所では西幕下筆頭で5勝2敗の成績を収めて、十両昇進を果たした。
2010年1月場所では初十両として期待された妙義龍だったが、左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い途中休場。
3月場所から7月場所まで全休することになり、9月場所では三段目まで番付を下げた。復帰を果たした妙義龍は三段目において7戦全勝、翌11月場所では幕下58枚目で6勝1敗で優勝を果たすまでに回復した。
その後も、2場所連続で幕下で勝ち越し2011年7月場所には、十両復帰を果たした。その場所では11勝4敗で十両初優勝を飾った。
また、次場所では13勝2敗の好成績を収めて二場所連続での十両優勝も成し遂げるまでに力をつけてきた。
2011年11月場所には新入幕を果たした妙義龍はその後も好成績を収めていき、2012年7月場所では三役・小結に。9月場所には、東関脇まで番付をあげて10勝5敗の好成績を収めた。
いよいよ、大関取りも視野に入ってきた妙義龍であったが、3場所連続で好成績を収めるにはいたらず関脇の壁を破れずにいた。
2014年9月には関脇復帰を果たすも、まさかの網膜剥離によって全休となった。
それでも関脇にあがる力をつけていた妙義龍は、その後も2度関脇に上がっているが結果は残せていない。
2018年1月には十両に降格するも3度目となる十両優勝を果たしている。
2018年11月場所では東前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越し、関脇復帰も見えてきた妙義龍。花のロクイチ組としてまだまだ終わりは見えない。