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隠岐の海(八角部屋)はイケメン力士!成績や番付・相撲経歴を紹介!

隠岐の海は八角部屋所属力士で、イケメン力士としても人気の高い関取です!残念ながら、隠岐の海には綺麗な奥さんがいらっしゃるので、ノーチャンスと言えます。

それでは隠岐の海の成績や番付、相撲経歴などを紹介していきたいと思います。

こちら『イケメン力士2018!関取(幕内・十両)でかっこいいと話題のベスト7を紹介!』でも隠岐の海を紹介していますので、チェックしてみてください。

隠岐の海のプロフィールと相撲歴紹介!

四股名隠岐の海 歩(おきのうみ あゆみ)
本名福岡 歩
生年月日1985年7月29日
年齢33歳
身長/体重190センチ/160キロ
出身地島根県隠岐郡隠岐の島町
所属部屋八角部屋
血液型O型
趣味無し
最終学歴隠岐水産高校 専攻科1年 中退
幕内優勝0回
十両優勝0回
幕下優勝1回
三段目優勝0回
序二段優勝0回
序ノ口優勝0回
殊勲賞1回
敢闘賞3回
技能賞0回
金星4回
初土俵2005年1月場所
初入幕2010年3月場所
得意技右四つ、寄り

 

<隠岐の海の相撲歴>
隠岐の海が相撲キャリアをスタートさせたのが、4歳のころ。隠岐の海が生まれ育った隠岐の島では「古典相撲」の習わしがあったために相撲に触れる機会が大変早かった。

本格的に相撲をやり始めたのは、小学4年生のことで相撲クラブに通って全国大会にも3年連続で出場もしていた実力者。とは言え、相撲にはそこまでの興味が無かったとも語っている。

中学に入っても相撲を続けた隠岐の海は、3年生の時には全国中学校体育大会への出場も果たしている。小学でも中学でも全国大会へ出場しているのがタイトルとは縁が無かった。

高校は隠岐水産高校に進学して相撲部に在籍。1年生から3年生まで3年連続でインターハイへの出場を果たした隠岐の海は、ベスト32まで勝ち進んでいる。

隠岐の海は水産高校に進学していたこともあって、将来の夢は航海士になることだった。水産高校では3級航海士の資格を取得。

高校卒業後は、角界入りなど全く考えずに2年間の専攻コースに進学。実習船に乗って数ヶ月間に渡って航海したのだったが、隠岐の海はその時に「集団行動は難しい」と感じ、航海士になる夢を断念しコースを中退している。

ここで、航海士としてやって行けそうだ!と感じていたら、今の隠岐の海は居なかったと言っても過言ではない。

専攻コースを中退した隠岐の海に1本の連絡が入ったのだ。それが、八角親方(元横綱・北勝海)が隠岐の島に後輩の姿を見に来ているから、隠岐の海もちょっと顔を出してみないか?というものだった。

八角親方の知人が隠岐の海を熱心に誘ったことで、隠岐の海は角界入りすることを決意し即上京。新弟子検査2日前という、急遽決まったことであった。

ちなみに、隠岐の海は高校卒業後に専攻コースに進学して1年で中退していることから、一学年年下の大関・豪栄道や幕内・栃煌山などと同期生となっている。

八角部屋に入門した隠岐の海は2005年1月初場所で初土俵を踏む。1年後の2005年3月場所には、幕下まで昇進を果たしているが、ここから幕下生活が長くなる。

幕下ともなれば力士としての準備が整っているものばかりでツワモノ揃い。関取になるために死に物狂いで稽古に励んでいる力士が揃っている幕下なので、簡単には上がれないのだ。

それでも隠岐の海は着実に地力を付けていく。負け越しも経験しながらも番付を上げていき2008年11月九州場所では西幕下筆頭で5勝2敗となり十両昇進に思えたが、残念ながら東幕下筆頭に半枚あがった形となる。

次場所の2009年1月場所では、東幕下筆頭で7戦全勝優勝を果たし、文句なしで十両昇進を決めた。初土俵から、4年後のことであった。

その後、一度幕下に転落するも十両で好成績を残し2010年2月には、新入幕を果たす。隠岐の海のさらなる進化が見えてくるはずだったが、2010年の大相撲野球賭博問題に関与した疑いで謹慎処分となり2010年7月場所を全休となった。

謹慎処分が開けた翌場所では十両で10勝5敗の成績を残し、返り入幕となったがそれ以降十両に落ちることなく幕内力士として相撲を取り続けている。

幕内最高優勝は無い隠岐の海だが、幾度か優勝争いに加わっている。ただ、幕内での最高成績は11勝4敗なので実際に優勝するにはあと一歩、二歩足りない印象だ。

2018年11月九州場所では西前頭11枚目と幕内の番付としては下位になるので、この当たりでもう一度奮起して優勝争いに入って欲しいものだ。

北勝富士(相撲)の師匠は八角理事長!気合いを入れての一番が最高!北勝富士は、現役時代には横綱・北勝海(ほくとうみ)として活躍し相撲協会理事長を務める八角理事長の部屋に所属する力士。 立会い前には...

 

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