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大相撲は見せるためのものであった!
相撲は勝負を競い合うという役割もありましたが、昔は天皇や貴族に見せるために行われていました。また、神仏のために行うこともありました。
今でこそ、勝敗にばかり目が行ってしまっていますが、力士が持っている技術を出し合って観客に見てもらう意味があったのです。
ですから、勝てば何でも良い!という精神は相撲とは違うということになります。
もちろん、今でも大技や小技で勝負が決まれば観客も盛り上がりますし、技のエキスパートは人気になりやすいですよね。
相撲と神事の関係性は催事が始まり!
大相撲の横綱土俵入りが度々、神社仏閣などで催されています。実は、平安後期に始まったもので神仏に捧げる一つの芸能として行われるようになったと言われています。
相撲の前は、神楽や田楽などを催していましたがそこに相撲が加わるようになりました。
始まりは京都周辺だけでしたが、そこで行った相撲人が自分の生まれ故郷に戻り、地方の神仏でも行うようになっていきます。
そうしているうちに、神仏へ捧げる芸能に相撲が欠かせなくなっていったのです。
もちろん、その当時は横綱土俵入りなどはありません。相撲人同士が技を見せ合う形で行っていました。
相撲に女性が駄目な理由は「女性の神様が嫉妬するから」
相撲の土俵に女性が上がることを禁止していますが、この理由って何でなのか不思議で仕方ありませんでした。
よくよく調べてみると、豊作を願って相撲を神様に捧げるものとして行ったのが女性の神様。
女性の神様に対して、女性が出てくるのはヤキモチ、嫉妬して豊作にならないために女性は駄目という風潮になったと言われています(諸説あります)。
これに対しては賛否両論あると思いますが、時代が時代だけに女性蔑視なんて思われても仕方ありませんよね。
神様もそこまで気にしているか分かりませんし、今は豊作を願って行うものとは形が違ってきています。古きよき時代の流れを汲んでいるのは分からないことはありません。
ただ問題となったのが、巡業先の土俵上で倒れた人を救うために救急救命として女性が土俵に上がったときに、「女性は土俵から下りて」というのはちょっと意味が分かりませんね。
人の命よりもそちらが大事なのか!?と言いたいです。
ただそのタイミングで相撲協会として厳格に禁止してきた流れもあり、巡業部長の判断だけで女性を土俵上に上げてもOKとは言いにくいでしょう。
難しいところではありますが、決して女性を蔑視して土俵に上がらないようにしているのでは個人的には無い考えています。
それだったら、女性相撲自体がスポーツとして成り立ちません。
相撲の語源は「すまふ」
相撲の語源と言われている言葉が「すまふ」で、この言葉には「争う」「抵抗する」という意味があります。
「すまふ」という言葉の連用形「すまひ」に、漢字の相撲という言葉が当てられて呼ばれるようになったと言われていますね。
また相撲という字を「スマイ」と読んでいたこともあって、相撲を「スマイ」と呼んでいたんだとか。
すもうと呼ばれるようになったのは室町時代に入ってからのことなのです。
相撲の起源は?ルーツはどこから来たのか?!
相撲はどこからやってきたのか気になるところですよね!東アジアを見れて、韓国の「シルム」やモンゴルの「ボフ」、沖縄県には「シマウチナージマ」といった相撲に似た格闘技が色々とありますよね。
これらのどこかから、日本でやっている相撲のルーツが有るはずだ!!
そんなことを考える人もいるそうですね。ただし、現在の相撲は京の都で始まったもので、しかも格闘技ではなく、見せものとして始まったものです。
相撲が始まる前は「異種格闘技戦」の様相で行われていたのですが、相撲とは別ものと考えるのが妥当だと考えられる。
何かから派生したものかもしれませんが、相撲というもの自体はルーツを探るよりも日本独自のものと考えるべきではないでしょうか。
格闘技とは一線を画する相撲ですので、他の国に存在するものは相撲に似た格闘技と言えます。
ですから、相撲は日本固有のもので日本の国技である!というのが個人的な考え方です。