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照強(相撲)と言えば豪快すぎる塩まき!元ヤンキーの噂は本当!?

小兵力士として活躍する照強、と言えばやはり豪快すぎる塩まきですよね!手のひらにてんこ盛りした塩を豪快にまいて会場を沸かせています。

こういった力士もたまには必要だと思っていたので嬉しい限り!ジャンジャン塩をまいてほしいですね。

関連記事>>>相撲で塩をまく理由や意味は?産地や豪快に大量まきする力士は誰?

そんな照強も元ヤンキー?!ばりに中学時代は年間30日ほどしか学校に行って無かったとか…義務教育なのでそこは行って欲しいところですが。

ですが、照強は中学校は休んでも相撲道場の稽古は休まなかったという逸話があるくらい相撲へ没頭していた少年だったのです!打ち込めることがあるって素晴らしいこと!

今回は、気になる照強のプロフィールや相撲歴を紹介していきます。

照強のプロフィールと相撲歴

四股名照強 翔輝(てるつよし しょうき)
本名福岡 翔輝
生年月日1995年1月17日
年齢24歳
身長/体重169センチ/115キロ
出身地兵庫県南あわじ市
所属部屋伊勢ヶ濱部屋
幕内優勝0回
十両優勝0回
幕下優勝1回
三段目優勝0回
序二段優勝0回
序ノ口優勝0回
殊勲賞0回
敢闘賞0回
技能賞0回
金星0回
初土俵2010年3月場所
初入幕
得意技右前みつ、投げ

<照強の相撲歴>
照強が相撲キャリアをスタートさせたのが、小学4年生の時。初めて、わんぱく相撲大会に出場した照強はいきなり準優勝の好成績を収める。

それまでは柔道をやっていたのだが、それから本格的に相撲を始めるために相撲道場に通うようになった。

中学時代はやんちゃ坊主だった照強は、全国大会でベスト16入を果たしている。ちなみに、中学には相撲部が無かったことからサッカー部に入り、ゴールキーパーのポジションを努めていたそうだ。

照強は、勉強がとても嫌いだったことや中学3年生時には殆ど学校にも通っていなかったので、高校に進学することなく角界入りを決断。

伊勢ヶ濱部屋へ入門した理由は、相撲道場の監督と伊勢ヶ濱親方が知り合いだったため。

新弟子検査では167センチしか無かった照強だったが、負けん気の強さややんちゃ坊主な面が功を奏したのか、序ノ口、序二段、三段目と着実に成績をあげ初土俵から2年後の2012年3月場所には幕下まで番付を上げている。

中学卒業後に角界入りした叩き上げといえる照強。中学時代に全国大会ベスト16に入っているだけあって、小兵ながら実力があったと言える。

幕下に昇進した照強だったが、幕下と三段目を3回行き来しようやく幕下に定着。ここから、照強はじっくりと着実に実力をつけていくのであった。

幕下では、番付を上げては下げ、下げては上げを繰り返しながら初めて幕下昇進してから4年8ヶ月後の2016年11月九州場所で幕下全勝優勝を果たし、悲願の十両昇進を勝ち取った。

初土俵から実に6年10ヶ月後の、2017年1月初場所から十両に定着。小兵ということもあって、大きく勝ち越せる場所はなく、番付を大きく上げるまでには至っていない。

2018年1月初場所には幕下に転落するも一場所で十両に復帰し、2018年11月九州場所では土俵を大いに盛り上げている。

照強の生年月日は、1995年1月17日であの大地震「阪神・淡路大震災」が起こった日である。母は、震災の最中、陣痛に耐えながら病院へ軽ワゴンの荷台に寝て移動したという。

地震が起きた午前5時46分から、約15時間後の午後9時過ぎに照強が生まれた。

角界入りを決断した背景には、最愛の祖父の存在が大きかったようだ。祖父は「大相撲に行け」と最後に照強に伝えたいたようだ。

力強く育ってきた照強、小兵ながら大きな力士にも負けない力を着実につけてきている。

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