翔猿は追手風部屋所属の力士で、実兄は英乃海で兄弟関取となっている。(2018年11月場所時点)
兄の背中を追って大相撲界に入った翔猿だが、その背中もグググッと近づいてきている。翔猿が兄・英乃海を番付で抜く日も遠くないかもしれない。
それでは、翔猿のプロフィールと相撲経歴を紹介していきます。
翔猿のプロフィールと相撲歴紹介!
四股名 | 翔猿 正也(とびざる まさや) |
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本名 | 岩崎 正也 |
生年月日 | 1992年4月24日 |
年齢 | 26歳 |
身長/体重 | 175センチ/127キロ |
出身地 | 東京都江戸川区 |
所属部屋 | 追手風部屋 |
幕内優勝 | 0回 |
十両優勝 | 0回 |
幕下優勝 | 0回 |
三段目優勝 | 0回 |
序二段優勝 | 0回 |
序ノ口優勝 | 0回 |
殊勲賞 | 0回 |
敢闘賞 | 0回 |
技能賞 | 0回 |
金星 | 0回 |
初土俵 | 2015年1月場所 |
初入幕 | - |
得意技 | 押し |
<翔猿の相撲経歴>
翔猿が相撲キャリアをスタートさせたのが、小学1年生のころ。兄の影響で道場に通うようになったのきっかけ。実兄は木瀬部屋に所属する「英乃海」である。
翔猿は相撲を始めたものの、将来はプロ野球選手になるのが夢であったために相撲への熱はそこまで高いものではなかったと想像できる。ただし、相撲は継続していた。
中学に入ると、野球と相撲の両立は難しくなり、結果的に相撲をとることになりプロ野球選手になる夢から大相撲の世界に入る夢へを変わっていく。
中学3年生のころには、全国中学校相撲選手権大会において団体戦優勝という輝かしい成績を収めるまでに成長した。
高校は相撲の名門校・埼玉栄高校に進学。2年生のときには、全国高等学校総合体育大会相撲競技大会の団体戦で優勝を果たしている。
ちなみに、同級生には「北勝富士」が在籍していた。
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高校卒業後は、大学へ進学した翔猿。日本大学へ進み相撲部へ入門したが、同級生には奄美大島出身力士の「大奄美」が居た。
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1年生の時には、東日本学生相撲新人選手権大会では個人戦で準優勝を果たしているが、決勝戦で負けた相手が大奄美であった。
また、東日本学生相撲個人体重別選手権大会100キロ未満級では、優勝を飾り個人タイトルを獲得している。
2年生の時には、全日本相撲選手権大会においてベスト16入り。
3年生の時には、東日本学生相撲選手権大会にて団体戦メンバーに選出されて団体戦優勝を果たしたが、右足首を骨折してしまい1年間のブランクが生まれてしまった。
4年生の時には、骨折から復活してチームの副将に任命されるまでになった。団体戦ではレギュラーメンバーに入ったが個人タイトルとは無縁で大学生活を終えた。
元々、保育士になるつもりだったという翔猿だが、大学4年生の時に満足いく結果を出せなかったことで逆に相撲を取りたいと思い角界入りすることとなる。
角界入りする際には、実兄・英乃海が在籍している木瀬部屋への入門も考えられたが、追手風部屋へ入門している。本人曰く、「兄と同じだと甘えが出る可能性があるため」だとか。
日本大学では、2学年上には大人気力士・遠藤が在籍していたが、遠藤を追う形で追手風部屋へ入門することとなった。
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2015年1月場所で初土俵を踏んだ翔猿だが、翌3月場所では序ノ口において6勝1敗の成績を収める。5月場所では序二段にて6勝1敗の成績、7月場所には三段目で6勝1敗と好成績を収めていった。
9月場所でも三段目において6勝1敗の成績を収めて、幕下へ昇進を果たしている。
幕下に昇進したのが2015年11月場所であるが、初十両となったのが2017年7月場所となる。実に1年半を幕下生活となった。
しかし、一場所で幕下へ陥落した後、三場所を幕下で過ごした。十両に復帰したのは2018年3月場所のこと。
十両に上がった翔猿だったが、二場所連続で7勝8敗と負け越してしまう。普通であれば幕下に落ちても不思議でなかったが、周りの成績の妙で十両13枚目で踏みとどまった。
迎えた7月場所で9勝6敗とし、十両で初めて勝ち越しに成功した。翌9月場所では7勝8敗と負け越したが、2018年最後となった11月場所では8勝7敗と勝ち越している。
体が大きくない翔猿なので、どうしても場所終盤になるとスタミナ切れを起こしてしまう。15番取りきるだけのパワーが不足しているために後半で失速してしまう傾向にある。