栃煌山は春日野部屋所属の力士で、相撲界で「花のロクイチ組」と呼ばれている昭和61年生まれ。同い年には、永遠のライバル豪栄道や横綱・稀勢の里、勢、妙義龍などがいる。
その中でも、トップクラスの実力を持っている栃煌山だがなぜか「シャケ」と呼ばれたことがある。理由は、ユニークな解説でもおなじみに「北の富士勝昭」さんが栃煌山があっさりと釣り出される姿を見て『シャケじゃないんだから、抵抗しないと!』と解説したのが理由だとか。
妻の山本せりさんは、角界随一の美人妻としても有名。お子さんもいらっしゃるので更に活躍しなければならない栃煌山。
最近、番付を上げてきたのもその影響が多分にあるのかもしれませんね。
それでは、栃煌山のプロフィールと相撲経歴をまとめましたのでチェックしてみてください。
栃煌山のプロフィールと相撲歴紹介!
四股名 | 栃煌山 雄一郎(とちおうざん ゆういちろう) |
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本名 | 影山 雄一郎 |
生年月日 | 1987年3月9日 |
年齢 | 31歳 |
身長/体重 | 186センチ/150キロ |
出身地 | 高知県安芸市 |
所属部屋 | 春日野部屋 |
血液型 | A型 |
趣味 | 読書 |
最終学歴 | 明徳義塾高校 卒 |
幕内優勝 | 0回 |
十両優勝 | 0回 |
幕下優勝 | 0回 |
三段目優勝 | 1回 |
序二段優勝 | 0回 |
序ノ口優勝 | 0回 |
殊勲賞 | 2回 |
敢闘賞 | 2回 |
技能賞 | 2回 |
金星 | 4回 |
初土俵 | 2005年1月場所 |
初入幕 | 2007年3月場所 |
得意技 | 右四つ、寄り |
<栃煌山の相撲経歴>
栃煌山が相撲キャリアをスタートさせたのが、小学2年生のころ。元々、祖父の影響で相撲好きだった栃煌山は、自ら相撲を始めた。
負けず嫌いな性格だったのだが、どちらかと言うと相撲を取れるような性格ではなく大人しい性格であった栃煌山。自ら進んで相撲を始めたが、稽古が厳しかったために弱音を吐きまくっていたそうだ。
そんな栃王山も徐々に相撲の厳しさにも慣れはじめて4年生になったころには、弱音も吐かないようになった。4年生の時には、わんぱく相撲全国大会にも出場するほどまで成長。
小学6年生の時には、わんぱく相撲全国大会にて16強入り。全日本小学校相撲優勝大会では、8強入りするほど強くなっていった。
年々強さを増していった栃煌山は、安芸中学校に進学。この中学には相撲部のあり、監督が「稽古の鬼」と栃煌山が話しているくらいだった。
中学2年生の時には、全国中学体育大会にて団体戦で準優勝の好成績を収めた。しかし、監督はこの結果を受けて栃煌山に対してもっと高みを目指すためにも、大幅な増量を敢行。
ご両親の承諾を得て1日5食で体重を増やしていった結果、1年間で約45キロの増量を達成。75キロから120キロまで増量し中学3年の夏を迎えたのであった。
中学3年の時には、全国中学体育大会の団体戦と個人戦で共に優勝を達成。個人戦で優勝したこともあって、中学横綱のタイトルを獲得した。ちなみに、同学年のライバル豪栄道を準々決勝でやぶっている。
中学を卒業したのちは、地元の明徳義塾高校に進学。ライバルであった豪栄道とは、常に争ってきたが高校では豪栄道が体を作り上げたことによって数々のタイトルを総ナメ。高校時代は豪栄道に軍配が上がる結果となる。
栃煌山は明徳義塾高校の1年生の時から、春日野部屋からスカウトを受けていた。小学6年生の時に、春日野部屋に体験宿泊もしていたつながりがある。
高校卒業後は大学進学も検討していたが、そのまま角界入りすることを決意。春日野部屋へ入門し初土俵を踏むことになる。
2005年1月場所で初土俵を踏んだ栃煌山。ライバル豪栄道もこの場所に初土俵を踏んでいる。
高校相撲ではトップレベルだった栃煌山は、序ノ口で6勝1敗、序二段で6勝1敗、三段目で6勝1敗、5勝2敗の好成績を4場所連続で収めた。同年11月には西三段目12枚目まで番付を上げて、7戦全勝で優勝を飾った。
その結果、2006年1月場所では幕下12枚目まで番付を一気に上げた。幕下でも安定した強さを発揮した栃煌山は、3場所連続で勝ち越して東幕下筆頭で迎えた同年7月場所。
6勝1敗という好成績によって、早くも十両に昇進するのであった。初土俵から1年6ヶ月のことだ。
高校で無類の強さを誇っていた豪栄道は、栃煌山が十両昇進を確実にした2006年7月場所から遅れること一場所。9月場所において幕下で7戦全勝優勝を果たし十両昇進を決めている。
花のロクイチ組と呼ばれる中にあって、トップを競い合ってきた栃煌山と豪栄道は角界入りした後も、切磋琢磨しお互いの番付を上げていった。
十両昇進を果たした栃煌山は2006年9月場所にて9勝6敗、11月場所でも9勝6敗、そして年が明けた1月場所では10勝5敗と3場所連続で勝ち越し、早くも幕内昇進を果たした。
初土俵から13場所でのスピード出世を果たした栃煌山には、大関、横綱昇進への期待が高まっていった。
新入幕となった2007年3月場所でも勢いは止まらず、11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞。ここまで負け越し知らずにグングンと番付を上げた。
5月場所では番付を前頭4枚目まであげて、いよいよ上位陣との対戦も組まれるところまで来た。ここでも、結果を残せれば、いよいよ期待もピークに達するところ。
しかし、6勝9敗と角界入りして初めて負け越してしまった栃煌山。翌7月場所では、左肩関節脱臼によって途中休場となり2場所連続の負け越し。
9月、11月場所ともに7勝8敗とあと一歩のところで負け越しを喫し、これで4場所連続負け越しとなったのである。
栃煌山曰く、幕内に上がってから張り手を食らうと横を向いてしまう難点を見抜かれてしまったのだとか。それを見た他の力士も張ってくるようになり勝てなくなったと語っている。
不振に陥ってしまった栃煌山だが、2008年1月場所で8勝7敗と勝ち越し、翌3月場所では11勝4敗の好成績で技能賞も獲得した。
徐々に幕内の相撲にも慣れてきた栃煌山は、勝ち越しと負け越しを繰り返しながらも着実に番付をあげた。
2009年5月場所には、ついに小結まで番付をあげて三役入りを果たす。2010年9月場所には、関脇まで昇進していよいよ大関への期待も高まった。
しかし2場所目には負け越してしまい小結へ落ちる。その後は2012年5月場所にて12勝3敗の好成績で再び関脇に上がるも4勝11敗と散々たる結果で再び平幕に転落。
2013年1月かと3月には共に東小結で勝ち越すも番付編成上、関脇に上がることはなかった。
2014年1月には小結で11勝4敗、そして3月には関脇で9勝6敗という成績。5月場所の成績によっては大関取りも視野に入っていた栃煌山。
3場所通算成績33勝には届かずに大関取りには至らなかった。
その後も関脇にはあがるものの、好成績を上げるには至らず結果的に2018年時点では大関昇進に至っていない。
大きな期待を背負い新入幕までスピード出世を果たした栃煌山も、大関にはなれずにいる。個人的には、優しい性格が邪魔をしているのでないかと勘ぐってしまう。
もっと勝ちにこだわることが出来ていれば大関昇進を勝ち取れていたはず。それくらいの素質をもっていた栃煌山。しかしながら、まだまだ強さを持っているのでもう一花咲かせるためにも、まずは関脇昇進を狙って欲しい。