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豊ノ島(時津風部屋)は引退間際から番付を回復!年収も大きく変わってしまったが諦めない!

豊ノ島は時津風部屋所属の力士で、ユーモア溢れることからファンからも人気のある関取として活躍。しかし、大怪我を背負ってしまい引退も囁かれていたが番付を回復してきた。

長らく幕内で相撲を取ってきた豊ノ島だが大怪我で幕下まで番付が下がってしまい年収が全く比べ物にならないくらい減ってしまった。

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そんな中からの豊ノ島の復活劇!これまでの相撲経歴をたどって行きましょう!

豊ノ島のプロフィールと相撲歴紹介!

四股名 豊ノ島 大樹(とよのしま だいき)
本名 梶原 大樹
生年月日 1983年6月26日
年齢 35歳
身長/体重 169センチ/168キロ
出身地 高知県宿毛市
所属部屋 時津風部屋
幕内優勝 0回
十両優勝 2回
幕下優勝 0回
三段目優勝 0回
序二段優勝 1回
序ノ口優勝 1回
殊勲賞 3回
敢闘賞 3回
技能賞 4回
金星 4回
初土俵 2002年1月場所
初入幕 2004年9月場所
得意技 左四つ、下手投げ

<豊ノ島の相撲歴>
豊ノ島が相撲キャリアをスタートさせたのが小学生のころ。中学に入ると相撲の素質を開花させて、全国都道府県中学相撲大会で個人と団体での優勝を成し遂げるまでになった。

地元・宿毛高校に進学した後は、国体メンバーに入り少年の部団体戦で優勝を経験。

角界入りする際には、時津風部屋に入門。初土俵は高校卒業前の2002年1月場所のこと。

3月場所では序ノ口で7戦全勝優勝、5月場所では序二段で7戦全勝優勝を果たしているが、この時に優勝争いを演じたが後の琴奨菊。琴奨菊と豊ノ島は中学時代からのライバルであった。

三段目でも実力を発揮した豊ノ島は三段目で4場所目となった2003年1月場所で7戦全勝で三段目6枚目から幕下10枚目まで一気に番付を上げている。ちなみに、この時は優勝決定戦で敗れている。

幕下に上がってからは2場所連続で負け越すも、その後は5場所連続で幕下にて勝ち越しを決めた豊ノ島。

2004年5月には21歳で十両へ昇進し関取となった。二場所連続で11勝の二桁勝利を上げた豊ノ島は幕内に昇進。一場所で十両に陥落するも十両筆頭で8番勝って再入幕となる。

2005年9月と2010年9月に幕内から十両に陥落するも、二度とも14勝1敗の好成績を収め優勝を果たしている。

二度目の十両優勝となった2010年9月の翌場所では前頭9枚目で14勝1敗の好成績を収め、横綱白鵬と優勝決定戦までもつれこんだ。残念ながら敗れはしたが、敢闘賞と技能賞を獲得している。自身二度目となるダブル受賞。

その後も番付を上げて最高位は東関脇となっているが、関脇4場所で勝ち越しの経験は無い。

2016年、豊ノ島の力はそこまで落ちてはいなかったが残念なことに稽古中にアキレス腱断裂の大怪我を負ってしまった。年齢的にも復帰は難しいかもしれないとファンは思っていた。

豊ノ島は二場所連続で全休してしまったことで幕下まで番付を落としてしまった。これによって関取から力士養成員と落ちてしまい100万円以上のお給料がほぼ無くなってしまった。

長らく幕内力士として活躍していたので十分な蓄えはあったかと思うが、精神的にこれだけのお給料が無くなってしまうとなると厳しいものがあっただろう。家族もいる中で早く関取に復帰したい一心で相撲に励んだことだろう。

そんな豊ノ島だったが、簡単には十両にあがることが出来なかった。怪我の影響もあるだろうが年齢的にも二場所を棒に振ったことは大きかったはず。

2016年11月に復帰した後は、幕下生活が2年も続いた。そんな豊ノ島も2018年9月場所にて、西幕下筆頭で6勝1敗の成績を収めて十両に再昇進を果たした。

2018年11月九州場所では東十両13枚目として二桁勝利を収め、復活の兆しを見せている豊ノ島。勝負勘も蘇ってきたようでこれからも期待できそうだ。

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