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朝乃山(高砂部屋/富山県出身)後援会が化粧廻しを新調!豊山との関係性は?

朝乃山は高砂部屋所属で富山県出身の力士で後援会が化粧廻しを2019年初場所に合わせて新調します。

今後は、「剱」の文字が入った化粧廻しで背景には、富山県出身ということで「立山連峰・剱岳」が描かれている化粧廻し。楽しみですね!

朝乃山にとって最大のライバルが同学年の豊山(小柳)で、負けたくないし相手が番付を上げれるなら自分にも上げられるという自信を持たせてくれるのが豊山だと言う。

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こういったライバルの存在は番付を上げていく上では、欠かせない要素の一つとなります。

それでは、朝乃山についてプロフィールや相撲歴を紹介していきますので、チェックしてみてください。

朝乃山のプロフィールと相撲歴紹介!

四股名朝乃山 英樹(あさのやま ひでき)
本名石橋 広暉
生年月日1994年3月1日
年齢24歳
身長/体重187センチ/166キロ
出身地富山県富山市
所属部屋高砂部屋
血液型A型
趣味ゲーム、音楽
最終学歴近畿大学 卒
幕内優勝0回
十両優勝0回
幕下優勝1回
三段目優勝0回
序二段優勝0回
序ノ口優勝0回
殊勲賞0回
敢闘賞2回
技能賞0回
金星0回
初土俵2016年3月場所
初入幕2017年9月場所
得意技突き、押し

<朝乃山の相撲歴>
朝乃山が相撲キャリアをスタートさせたのは、小学4年生の時。当時は、相撲とハンドボールを一緒にやっていたのだが、富山県はハンドボールが盛んな地域であったため。

相撲を始めたのは、第22代横綱・太刀山がゆかりの相撲道場がたまたま近くにあったらからだと言う。太刀山が縁で出来た土俵が無かったら今の朝乃山は誕生して居なかったかもしれない。

ハンドボールで富山県強化指定選手に選出されるほどの実力を持っていた朝乃山は、中学に進学すると当然のようにハンドボール部に入部。しかし、ハンドボールの練習があまりに厳しかったことから退部し、相撲部に入った。

しかし、想像できるように相撲の稽古のほうが厳しいものであった。が、朝乃山は退部の意志を示すことが出来ずに相撲を続けていくことになる。

結果、中学3年生の時には、全国都道府県中学生相撲選手権大会への出場を果たしている。ここまでの実力をつけたのは朝乃山本人の不断の努力、そして才能があったからだと言えるだろう。

ただ、この大会で朝乃山は肘を負傷したことで相撲キャリアも終わりだと考えたが、富山商業高校の相撲部監督の誘いを受けて進学し相撲を続けることとなる。

高校生の時には、選抜高校相撲十和田大会準優勝を果たしているが、監督との出会いもまた朝乃山が会うべくして出会った人なのかもしれない。

大学は近畿大学に進学し相撲を続けた朝乃山であったが、主要な個人タイトルとは無縁で4年間を終えた。本来なら角界入りするつもりが無かったという朝乃山。

ただ、4年生の時に国体成年の部4位、全日本相撲選手権大会ベスト4に入ったのだが、新しく出来た制度で『三段目格付出』の基準に見合う成績を収めたのだった、これも運と実力が備わっているとしか言いようがない。

角界入りを決めたのは、近畿大学で同級生だった玉木をスカウトしに来ていた若松親方に、いつの間にか朝乃山も誘われていたのだとか…また高砂親方も近畿大学出身だったのも十分に影響しているだとう。

これまでの朝乃山の相撲歴を見ていると、転機が何度もありそれがことごとく相撲を続けていく流れになっているのが分かって本当に凄いと感じてしまう。たまたま土俵が近くにあったり、ハンドボールから相撲への変えたり、高校の監督からの勧誘などなど。朝乃山は角界入りすべき人間だったのかもしれません。

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