大翔鵬はモンゴルウランバートル出身の力士で、勢いに乗る追手風部屋所属力士である。追手風部屋は人気力士・遠藤や、大翔丸、大栄翔、大奄美、剣翔、翔猿といった関取が名を連ねている。
それでは、大翔丸のプロフィールと相撲経歴を紹介していきます。
大翔鵬のプロフィールと相撲歴紹介!
四股名 | 大翔鵬 清洋(だいしょうほう きよひろ) |
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本名 | チミデレゲゼン・シジルバヤル |
生年月日 | 1994年8月28日 |
年齢 | 24歳 |
身長/体重 | 183センチ/174キロ |
出身地 | モンゴル・ウランバートル |
所属部屋 | 追手風部屋 |
幕内優勝 | 0回 |
十両優勝 | 0回 |
幕下優勝 | 0回 |
三段目優勝 | 0回 |
序二段優勝 | 1回 |
序ノ口優勝 | 0回 |
殊勲賞 | 0回 |
敢闘賞 | 0回 |
技能賞 | 0回 |
金星 | 0回 |
初土俵 | 2013年3月場所 |
初入幕 | - |
得意技 | 右四つ、寄り |
<大翔鵬の相撲経歴>
大翔鵬はモンゴル出身力士で、小学生の時に日本へ引っ越す。千葉県柏市に居住地を構えた大翔鵬は、小学4年生の時に相撲に出会った。
柏市が開催する学校対抗相撲大会に参加した大翔鵬は、試合には負けてしまったものの地元の相撲クラブに勧誘されて本格的に相撲を初めた。
中学に入ると大翔鵬は野球部に所属するようになったが、野球では飯を食っていけないために野球部を退部。その後、相撲に改めて力を入れたが野球で鍛えられた影響かこれまでよりも相撲の地力が上がっていた。
今までは勝負にならなかった相手にも互角の戦いが出来るようになっていた。更には、父親の知人によって紹介された式秀部屋での稽古では、中学生でありながら既に序二段の力士と対等に戦っていたそうだ。
中学卒業後は、千葉県内において相撲強豪校であった流山南高等学校に進学。1年生の時には、千葉県新人大会において団体戦優勝を果たした。また、個人戦において優勝を果たしている。
2年生の時には、全国高校相撲選抜大会で準優勝しているが決勝で負けた相手が「逸ノ城」であった。
なお、大翔鵬と同級生には「阿炎」が在籍し切磋琢磨していた。
高校では全国大会において個人タイトルを獲得するに至らなかった大翔鵬であったが、実力は折り紙つき。当時、明治大学の相撲部に出稽古に行っていたが、大学生相手に圧倒的な強さを発揮していた大翔鵬。
大翔鵬はモンゴル時代に学業でもトップクラスだった。小学校の特進クラスにも入るほどの頭の良さで、高校でも文武両道でトップクラスの成績を収めていた。
高校卒業後は、大学に進学せずに角界入りした大翔鵬。追手風部屋に入門することとなったが、同期には人気力士・遠藤が居る。
2013年3月場所で初土俵を踏んだ大翔鵬は、翌5月場所では6勝1敗。7月場所では序二段において7戦全勝優勝を果たしている。
三段目に昇進した9月場所では2勝5敗と負け越してしまったが、11月場所では6勝1敗、翌2014年1月場所では5勝2敗の成績で幕下への昇進を決めた。
2014年3月場所から幕下へ番付を上げた大翔鵬。ここから幕下での長い生活が始まる。
幕下で一桁の番付に上がったのが、2015年7月場所で幕下に上がってから9場所目のこと。そこから、幕下上位の番付に居るものの、4勝3敗や3勝4敗の成績を繰り返して1年が経った。
迎えた2016年9月場所において、西幕下筆頭で5勝2敗の成績を収めて晴れて十両に昇進し関取となる。が、一場所で幕下へ陥落。
2017年は1年間、幕下生活が続くことになった。11月場所で東幕下3枚目で5勝2敗として十両に再昇進した大翔鵬。
2018年1月場所から6場所連続で、十両で勝ち越しいよいよ幕内も見える位置に来た。
同期の阿炎とは差がついてしまったが、徐々い地力をつけて番付を上げてきている。成績全体を見てみると大きく勝ち越す場所が殆どない。十両での二桁勝利も無い点からは、一場所の中でムラは少ないが爆発力も少ないと言えそうだ。